福田繁雄 ≪5次元のヴィーナス≫
東アジアの文物に表された動物モチーフの中で、龍ほど広く深い背景を備え、かつ豊富な作例に恵まれたものはないであろう。しかしながらその全体像を把握し、太古の中国から近代に及ぶ造形の歴史を跡づけることは容易でなく、今日の研究動向を反映した専著といえる先例は思い当たらない。本書はその現状を打開する成果であり、気鋭の研究者14名が龍の造形にまつわる様々な問題に取り組んだ論考が収録されている。本書の大きな特徴は重要作品32点の美麗なカラー図版に詳細な解説を付した「鑑賞編」を冒頭におく点であり、14篇からなる「論考編」の関連箇所を参照しつつ読むことで、理解を深めることができる。良質の企画展をみたような読後感は、2020年に泉屋博古館で開催された特別展『瑞獣伝来』が、刊行の一つの契機になっていることとも無縁でなかろう。
龍の造形は長い歴史の中で、東アジア世界に秩序を与える皇権、その現象としての祥瑞、死後世界に対する人々の思いが託された昇仙など、特定の世界観、死生観、価値観を象徴する意匠へと凝縮され、現実世界では不可視でありながらも、抽象的な観念のリアリティや願望の実現可能性を顕在化させる記号として機能し続けた。その形態は汎用性を獲得する過程で個性を失い、固定化していくが、図像上の約束事が明瞭になって純化されたからこそ洗練され、作者の研ぎ澄まされた技巧が際立つ幾多の名品が生まれた。この傾向は工芸品の領域、ことに中国中世以降とその影響下にある東アジア各地の作例において著しい。
一方で龍の造形には、想像上の動物であるからこそ、作者が自由な構想を働かせることを許容する側面と、古くから中国に存在した合理的な思考や後世の文人画の台頭などによって低い地位を与えられるという側面があった。さらに想像上の動物とはいえ、祥瑞や昇仙を重視する前近代的な感覚では現実世界に姿を現すことが前提であったがゆえに、また実在する動物のパーツを総合して身体が形成されているがゆえに、一定以上の写実性の追究が求められる題材でもあった。こうした属性の複雑さは龍の造形の歴史を豊かにする方向に作用し、特に絵画表現の領域では作者の創造力を刺激して、新たな可能性を切り開かせた。その結実の様相は、雲と龍が交錯する空間を水墨技法を駆使して描いた作品群に典型をみることができる。ことに本書にも繰り返し登場する南宋の陳容は雲龍図の確立者と位置づけられ、同人に帰せられた作風は画龍の規範となって絶大な影響力を保ち、粉本などの媒体を介して拡大再生産され、日本にも非常に多くの遺品が残っている。
このように龍の造形史には、美術史研究における本質的な問題点がしばしば顔を覗かせるが、本書は上掲した論点のほぼ全てに正攻法で切り込んでおり、形象の系譜とそれが意味するところを、高い解像度で示すことに成功している。
論考編の配置はおおむね時系列に沿っているが、本書に方向性を与え、全体の核をなす論考として機能しているのが、考古学者及び中国絵画研究者による諸篇である。編者の執筆にかかる山本堯「雲龍図の成立」と竹浪遠「画龍にみる唐宋変革」は、中国の龍の系譜を包括的にとらえることを可能にし、漢代における定型の形成と唐宋間における図像の変革という二つの画期とその前後の状況を、龍という主題がもつ政治性の問題を視野に入れて詳しく検証している。森下章司「古代龍図像の形成と伝播」は漢代以降に確立された龍の図像の韓半島・日本への波及の様相を権力構造との関係性に目を配りつつ俯瞰的に論じ、飛田優樹「明代画龍試論」は従来注目されることの少なかった明代の作例の詳細な観察を経て、近世日本で展開した画龍の系譜の前史をも照射している。また上記二つの画期の間に位置する魏晋南北朝時代については、中国の伝統的な龍と、仏教とともに中国に流入して「龍」の訳語が与えられた西方起源のモチーフとの融合の様相が重要な問題となるが、齋藤龍一「南北朝時代北魏の仏教美術における「龍」の表現」及び田林啓「魏晋南北朝美術の中の龍」が、仏教美術のみならず墓葬美術にも目を配って、龍を介した神仙世界と須弥山世界の関係性などを詳述している。
以上6篇は多くの作例を提示しつつ、中国における龍の属性及び姿形の表象を主題に据え、時間ないし空間の軸に沿って継承と変容の過程を追う基礎的な考察を行っており、本書に通史的な骨格を与える。一方で特定の作品群やテーマを深く掘り下げて東アジアにおける龍の造形の諸相を探究する、より専論的な8篇も充実している。その内容は二つに大別される。第一は中・韓・日に跨がる工芸品研究であり、対象領域は陶磁・金工・染織に及ぶ。瀧朝子「海を渡る高麗の龍-青磁・金工に見る龍の造形-」、新井崇之「明代景徳鎮官窯の龍文様」、伊住禮次朗「雲龍釜の源流をたどる一考察」、川見典久「近世刀装具にみる龍の意匠と表現」、吉田雅子「清朝の龍袍-祇園祭の龍袍の掛物を一例に-」がこれに該当する。第二は日本の中世近世絵画史研究の立場から龍の造形をとらえた諸篇であり、五月女晴恵「中世の「俵藤太絵巻」に描かれた「龍宮」「大蛇」「百足の蜈」」、門脇むつみ「多頭の龍の描き方-鶴沢探鯨筆「龍図」四幅対をめぐって-」、杉本欣久「登龍門-鯉が龍になるまで-」が該当する。素材は多彩だが、いずれも龍の記号学とでもいうべき要素を含む一方で丁寧な作品観察に基礎をおいており、本書に厚みと深み、さらに統一感を与えることに貢献している。
『龍の美術史』というタイトルがもたらす期待に違わず、本書では魅力にみちた龍の世界が具体的な視覚イメージを伴って展開し、その造形の振幅と脈動の様相がいきいきと捉えられている。『龍の図像学』とも『龍の文化史』とも異なる書名を掲げている点に、編者の自負と見識をみる思いがする。500頁近くに及ぶ重厚な論集を短期間でまとめ上げられた各位の力量に敬意を表するとともに、当該領域における研究の到達点と、今後の指針を示す一書として、推賞する次第である。
(文・稲本泰生)
| 著者・編者・監修 | ⽵浪遠・⼭本堯 編 |
|---|---|
| 判型 | A5判 |
| ページ数 | 496⾴ |
| 定価 | 8,000円+税 |
| ISBN | 978-4-8055-1083-4 |
| 発行日 | 2026年1月20日 |
| 出版社 | 中央公論美術出版 |