公益財団法人 鹿島美術財団

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Interview 04

肉筆浮世絵

浅野 秀剛 氏 インタビュー

浅野 秀剛(あさの・しゅうごう)

1950年、秋田県生まれ。立命館大学理工学部数学物理学科卒業。千葉市美術館学芸課長を経て、現在、大和文華館館長、および、あべのハルカス美術館館長を兼任。博士(哲学、学習院大学)。著書に『菱川師宣と浮世絵の黎明』(東京大学出版会、2008年)、『浮世絵は語る』(講談社現代新書、2010年)、『浮世絵細見』(講談社選書メチエ、2017年)等がある。

  1. ボストンの浮世絵はクオリティが高い
  2. 奇跡的に残った絵看板
  3. 浮世絵調査で世界を巡る
  4. データベース公開と国際共同研究の時代へ

ボストンの浮世絵はクオリティが高い

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最初にボストンでの調査についてお伺いします。浅野先生は1996年と97年に肉筆浮世絵の悉皆調査を、辻惟雄先生、小林忠先生(当時、学習院大学教授)、内藤正人先生(当時、出光美術館学芸員、現在、慶應義塾大学教授)、ティム・クラーク先生(当時、大英博物館学芸員)の5人で行われたとのことですが、どのような形で進められたのでしょうか。

浅野 :

8月に2週間ずつだったと思います。私と内藤さんは全て参加して全作品を見ましたが、他の先生方は部分参加でしたね。

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今回の図録に掲載される肉筆浮世絵は計516点で、春画や下絵を入れると600点以上あると思いますが、1日にどれくらいの数を調査されたのでしょうか。

浅野 :

春画はあまり見ていないのですが、それでも500点ぐらいですから、1回に2週間とすると250点くらいは調査しなきゃいけない。土日は休みだから、10日間で1日平均20数点だったと思います。

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肉筆浮世絵の調査は先生方が5人も参加されたということですが、作品の評価や真贋に関して、意見の相違などはあったのでしょうか。

浅野 :

それぞれが調書を取っていましたが、90%以上は意見が合致していました。しかし何%かの作品については、オリジナルだと思う人と、明治時代のコピーだと言う人がいて、極端に意見が相違しました。どうしようかという話になったときに、辻先生が「そのまま残せ」と。内藤さんと私の見解が相違することがいちばん多かったのですが、私だけ異論を唱えたときは図録に真筆とし、「浅野はそういうふうに言わなかった」と書け、逆に内藤さんだけ異なる意見のときは、「内藤氏はこう言った」と書けと。実際、そのようにしました(図1)。
 全員が贋作、あるいは少しおかしいと考えたものはどうするか。辻先生は、そのまま記すのはボストン美術館として問題じゃないかとおっしゃったのですが、アンさんは全員が悪いとした見解をそのまま記すのは問題なく、館としてもそうしてほしいと言われました。これには感心しました。結果的にこのことは評価できると思います。

図1:1997年8月、ボストン美術館アジア部調査室にて
左から、ティム・クラーク氏、内藤正人氏、小林忠氏、浅野秀剛氏
アン・ニシムラ・モース氏提供
髙岸 :

浅野先生は国内外で悉皆調査をされる機会が多かったと思いますが。

浅野 :

欧米の調査はかなりしましたね。小林忠先生から僕らにかけての世代は、そういう点では恵まれていました。海外からの依頼で、2、30件は調査したと思います。

髙岸 :

浮世絵の場合、摺りの問題などをその場で判断すると思います。ボストンの調査でおこなった賛否両論の併記や、贋作は贋作と明確に記すという方針は独特だったということですか。

浅野 :

当時は独特でしたよね。それ以前の調査では、版画にしても肉筆画にしても、明らかにおかしいもの、たとえば複製品だったり近代以降の贋作などは報告書自体から外すということが多かったんです。でもそのようにせず、きちんと記録するというのは珍しかったと思います。

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本図録は他の分野についても、調査したもの全てを載せて、評価も全て正直に行っています。

浅野 :

それができたのにはもう一つ理由があって、ボストンの作品が平均的にクオリティが高かったということがあります。問題がある作品はごく少数だった。これが大きいんです。

髙岸 :

ボストンの調査から四半世紀が経ちますが、このようなアカデミックな方法というのは、現在では定番となっているのでしょうか。

浅野 :

はい、そういう流れにはなっていると思います。それから、鹿島プロジェクトはきちんと報告書を複数回にわたって刊行したという理想的なケースですけれども、他の調査では何らかの問題があって報告を外部に公表しないことが結構多かったんです。それだと情報が蓄積されない、後世に共有されないという欠点がありました。そういうことはやめようという理解が進みました。調査したら報告をする、公表すると。そうしないと積み重ねが生まれない。

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肉筆浮世絵は計500点強も作品があり、なかにはほとんど名の知られない画家の作品もあると思うのですが、そういうものについては現地で辞書を用いて調べられたのですか。

浅野 :

その場で調べました。しかし、肉筆浮世絵には悩ましい問題があって、明治以降に勝手に画家の名前を創作する、ということがあります。特に浮世絵は、無名の絵師というのを作りやすいんです。無名の画家をなぜ創作するのかといえば、そうなることで贋作ではなくなるからです。こういった作品に騙されて、創作された画家の名前を信じてしまうと、その人が江戸時代に活躍していたことになってしまって、非常に被害が大きい。だから、怪しい場合は注記しようということになったんです。
 たとえば、全体的にみれば17世紀から18世紀前半の絵に見えるけれど、実際に描かれたのは明治以降だよね、という絵も少なからずあるわけです。無署名であれば、贋作とは言わないですが。良心的な絵師による模写か、あるいは時代を偽って売ろうとしているのかというのは、何か香りで分かるもので、そういうのも結構あるんです。

髙岸 :

あたかも実在したかのような名前を書くわけですか。

浅野 :

そうですね。ただ、何十年か情報が蓄積されていけば、別の美術館にも同じ署名の人があったよ、ということになる。2つ3つぐらいに増えると、全体から見てこういう人がいたと考えてよいか、あるいは全部駄目か、分かるじゃないですか。かなりの確率でね。だから、そのときまで待とうと。

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なるほど。サンプルとして公開しておくというのは重要ですね。

浅野 :

はい、そうなんです。

髙岸 :

明治以降に古色をつけるということもあるんですか。

浅野 :

古色をつけたほうが高く売れますから。版画の場合、輸出するに当たって色を足したりすることが結構あります。褪色して真っ白になったものに版で色を足すとか、筆で線を足すとか、線が切れている部分をリタッチするとかは日常的です。同じことが肉筆浮世絵でも行われていたと推察したほうがいい。18世紀以前の作品、特に歌麿などの版画で欧米に渡っている作品の2、30%がリタッチです。すごい確率ですよね。ティム・クラークさんはリタッチを一瞬で見分けるんです。

髙岸 :

イギリスにそういうものがたくさんあるから、慣れているということでしょうか。

浅野 :

それもあると思いますが、半分は天性のものですね。20代前半までにそういう目の訓練をしているんですね。この業界では、30歳までにいろいろ訓練しておかないと駄目ですから。

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